カナダミュージアム

 

 

営業時間:10:00-16:00

閉館:毎週火曜、12月29-1月3日

入館料:高校生以上(150円)

15歳以下は無料

連絡先:0738-20-6231

対応言語:日本語

住所:644-0045 和歌山県日高郡美浜町三尾482

その他情報:公式HP

インスタグラム

三尾はカナダ移民の故郷として知られています。移民たちはカナダの生活様式や洋風建築を三尾に持ちこみました。この建物は、和洋折衷の建物であり、三尾のユニークな歴史や文化を示しています。そのルーツはカナダでの移民暮らしから来ています。カナダミュージアムは移民の歴史や、遺産、歴史産物を未来に継承することに努めています。来客者は、併設のカフェで一杯のコーヒーを楽しみながら、三尾がカナダに人々を送った当時を思い出し、リラックスできます。

龍王神社

龍王神社は三尾の南に位置し、断崖絶壁の上に建てられています。 龍は水の神とみなされてきました。 村人たちは、長い間、航海中の安全を祈ってきました。交通海路の安全を願ってこの神社が建てられたと言われています。漁業に水は不可欠である為、人々はかつて、雨乞いを願ってこの神社でお祭りをしていました。しかし、1953年に大洪水が三尾を襲いました。それから一度も雨乞いを願う祭りは開催されていません。

アコウの樹

アコウの樹はアジア東部の亜熱帯植物です。龍王神社のアコウの樹は根元の周囲が10メートルであるが、根元から二本に分かれ、南に出た枝は3.2メートルの長さで、もう一方の枝は扇状に広がり枝元まで11メートルあります。この木の樹齢を推測できますか?この木は推定樹齢300年から350年の大樹です。日本の神社やお寺では大きくて古い木がよく見られます。 その理由は、日本人がそのような木を神聖であるとみなし、保護しているからです。 日本人は、神は自然界で生きていると信じています。

寄進札

神社には多くの寄付札があります。 三尾は一般的に「アメリカ村」として知られ、日系カナダ人の母村です。多くの移民が神社に寄付しているため、寄進札には寄付者の名前が刻まれています。

営業時間:通年

拝観料:無料

連絡先:0738-64-2433

対応言語:日本語

住所:644-0045

和歌山県日高郡美浜町三尾442

最寄りバス停:アメリカ村

法善寺

法善寺は浄土宗のお寺で1000年の歴史があります。カナダ移民のお墓があるほか、納骨堂もあり、外国から納骨に訪れる方もいます。

 

 

バンクーバー朝日の英雄、野田為雄さんのお墓

野田為雄は「バンクーバー朝日軍」の一員です。  「バンクーバー朝日」は戦前バンクーバーにあった日系カナダ人の野球チームクラブです。 市内で最も強いアマチュアチームの1つであった朝日軍は、スキルと戦術を利用して、ノースウェストコーストで複数のリーグタイトルを獲得しました。1914年に結成され、1942年、22000人の日系カナダ人が連邦政府に抑留されたときに、チームは解散しましたが、2014年に少年野球チームの「バンクーバー新朝日軍」として復活し来日して親善試合も行なっています。

俳句が刻まれた石碑

このお寺には、俳句が刻まれた13の石碑があります。筆者は石碑を海岸などから探し、自分で句をかき、刻んで建てたという貴重な句碑群です。

これらはその一部です。

 

写真の右側

火桶抱く 夜はトロントの 灯を憶ふ

筆者:花笑

この歌の意味は、火鉢に当たって、暖をとっている。その心に、娘の住んでいる遠くカナダのトロントの夜の灯を恋うている。

 

写真の左側

夕焼けの 彼方にアッツ 合掌す

筆者:長一郎

夕焼けが真っ赤である。鮭漁に出て、その夕焼けの遥か彼方にアッツ島がある。アッツ島は太平洋戦争で日本軍が玉砕した島である。真っ赤な夕焼けもまるで日本軍将兵が流した血潮のようである。そう憶うとおのずから拳があわされてくる。

寄進札

多くの人がこのお寺に寄付しています。この札には寄付者の名前が刻まれています。

薬師如来像

この薬師如来立像は法善寺にあり、平安時代中期の作品です。(794-1185)高さ150.2センチのヒノキで作られており、国宝や重要文化財が多くある、日高川町の道成寺に次ぐ古い仏像です。普段は秘仏として祀られていますが、2月10日の会式には、ご開帳されます。

 

拝観時間:年中無休

拝観料:無料

連絡先:対応言語 日本語

電話番号 0738-62-2202

住所:644-0045和歌山県日高郡美浜町三尾382

最寄りのバス停:アメリカ村

光明寺

営業時間:年中無休

拝観料:無料

連絡先:0738-62-2629

住所:644-0045

和歌山県日高郡美浜町三尾864

最寄りバス停:アメリカ村

この寺院には460年の歴史があります。 1930年、光明寺の本堂は、カナダ人移民による多額の寄付によって設立されました。本堂には、ケヤキの木の山門と荘厳な贅を尽くした須弥壇があります。須弥壇とは、本尊を安置する場所です。また、今では手に入れることができない、国産の太い柾目の美しい柱もあります。また、ドルで記されている珍しい寄進札も見つけることができます。

2018年春に修復が行われました。本堂正面の真っ白な壁には、下り藤をなびかせた鳳凰が舞っています。三尾出身の日本人画家西垣至剛氏による作品です。彼の遊び心でしょうか。鳳凰の中に魚が泳いでいる。彼は、「川を描いたから。気が付いてもつかなくても。」といいます。機会があれば、鳳凰の中に泳いでいる魚を探してみては。

海猫島

三尾では、昼間は美しい海を眺めることができます。 海面に白い何かが浮かんでいます。 これは海猫島です。 なぜ「うみねこじま」と呼ばれるのでしょうか。この島は海猫のお気に入りのねぐらであるためです。また、猫の鳴き声に似ていることから、ウミネコと呼ばれています。元の名前はアマトリ(「ダイバー」)島でしたが、七福神の1つであり、水と音楽の女神である弁財天に捧げられた小さな神社があるため、弁天島としても知られています。 海猫は3月頃から島に集まり始め、ハイシーズンは5月から7月です。 ひな鳥の孵化と飼育は7月下旬から8月上旬に終わり、すべての海猫は島を去ります。

徳本上人遺跡の碑

徳本上人(1758〜1818)は日高町久志に生まれた念仏行者です。上人は、日ノ御埼沖で難破した船員の亡霊を鎮めるため、寛政8年(1796)秋、この下の洞窟で念仏供養したと伝えられています。この碑は、上人没後、その弟子の徳因が、上人の遺徳を偲んで文政五年(1822)春に建碑したものです。

日ノ岬灯台跡

初代の灯台 (戦前の絵葉書より)

煉瓦塀の弾痕

初代の日ノ御埼灯台は、昭和二十年七月二十一日米軍艦載機の機銃掃射を受けて点灯不能となり、続いて同月三十日に再び艦載機の機銃掃射・小型爆弾の投下を受け全焼しました。今も周囲の煉瓦塀には数カ所にわたって機銃掃射の弾痕が残り、当時の生々しさを伝えています。なお、現在の灯台は三代目です。